オーストラリア環境教育体験記

オーストラリアの大学院で環境教育を学んでいるCrissyのブログ。オーストラリアは知られざる環境教育先進国の一つ。オーストラリアで学んでいることをや生活について紹介します。

2009-11

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I just want tu update my website cos I do not want to lose this website. So I need updating this web page.

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管理者

質問のお答え

長い間、私のブログを読んでいただきありがとうございました。

ブログの終了に伴い、感想を寄せていただき感謝しております。

幾つか質問も受けたので、ここで書きたいと思います。

個人的な連絡のやり取りは、大変申し訳ありませんが、お断りしております。

環境の仕事に関する質問も受けるのですが、私も答えられる立場ではないので、ご了承願います。

ブログでも何度も書きましたが、この分野は本当に世界中で、競争が激しい分野です。

みんながやりたいと思っている仕事だと、私は理解しています。以前も書きましたが、海外の大学院を出ても、(日本でもかな・・・)仕事の確証はありません。

大学院を卒業して、やっとスタートだと思っています。ボランティアの種類によりますが、ボランティアをしたからといって、大きく違うかというと、恐らくさほどの差はないような印象もあります。

やはり、仕事ということでしか、評価されることは難しい。

アメリカでの経験も大学院での経験も私にとってはとても大事な経験ですが、人たび、仕事となると、そこまで評価されているようには思いません。

もし、今、きちんとした仕事に就かれているなら、それを大事にしながら、道を探すというのも賢い選択だと思います。

私には何も言える権利はないのですが、私のブログが、変な意味で後押ししてしまったのであれば、このことを付け加えさせてください。


何度も言っていますが、これで本当に終わりにします。

私は、これからもまだまだがんばります。

最後の旅・最後のレッスン

現在、大学院時代の友人であるベトナム人の友人の家に滞在している。


 


実は、今までタイぐらいしか途上国といわれる国に行ったことがない私。今回のホーチミン滞在は、いろいろな意味で、考えさせられることが多かった。


 


特に、私が学んでいる環境や自由、平和について考えさせられる体験が多かったのだ。


 


ホーチミンは現在、本当に経済的に発展している。日本の戦後と同じような動きなのだろうが、それに伴う交通渋滞、環境汚染の状況がとても顕著。経済発展のためのインフラが全くできていないという印象を受ける。


 


街中に溢れるごみ。分別なんて概念にないのだ。


 


メコン川を見ていると、方や、泳いでいる人がいる。かたや、建設用の泥を流している人がいる。また、一方で、ゴミが大量に浮いているのだ。


 


環境に関して配慮している人なんて、たぶんホーチミンには誰もいないのではないかとさえ感じる状況だ。


 


私が生まれたのは、高度経済成長が少し落ち着いてきたころだ。日本も同じような状況だったのだろうかと、想像してみる。メコン川のツアーで出合ったシリコンバレーで働くエンジニアが「みんなが通る道」といっていたこの状況。どんなに科学技術が発展しても、この状況は変わらないのだ。


 


オーストラリアののんびりした生活からこちらに来て、まともに道路を横断できない状況の交通状況に最後までなかなか慣れないでいた。交通ルールはない。一日外を歩いていると鼻が真っ黒になる。


 


日本でかつて起こった大気汚染による健康障害や、水俣病などの水質汚染による病気は、ベトナムでも不可避であると思う。


 


ホーチミンでは、恐らく、みんながモーターバイクに乗っている。また、工場やバイクの排気で、毎日空曇っている。晴れていても雲がかかっている。


 


これが発展しているという本当の現状なんだ。と、実感する。


 


私の学んできたことは、ここでは本当に無意味というか無力な感じがした。


 


ベトナムはまだまだとても貧しい、本当に、まだまだ貧しい。日本の物価の10分の1ですべての物が手に入ってしまう。


 


途上国に来ると、私の国がこのような国に支えられて成り立っていることを痛感する。


 


ベトナムの状況を見ていると、貧しさから脱出したいと、開発を促進するのは人間の当たり前の欲求だと感じる。


 


戦争の爪あとも完全に癒えているとは思えない。


 


友人に連れられて、美容院などにも行ったが、ベトナム人はとても器用。マーケットで買ったかごバックなど、日本で買ったら高いであろうものが、1000円足らずで買えてしまう。



どんなにがんばって働いても、食べることでいっぱいというのが、今のベトナムの状況だ。


 


友人は日中働いているため、自分で幾つかツアーに参加したのだが、幸運にも、とても良い人たちとツアーに参加できた。


 


マレーシアやシリコンバレーで働いているアメリカンベトナム人の人たちに会って、内側や外側からのベトナムの状況を聞くことができとても興味深かった。


 


ツアーに参加中、ある観光客が、「自分がNYを発ったとき、冬なのに気温が16度もあって驚いた。温暖化が深刻だ。」と、話していた。彼女は、「モルジブやマチュピチュや日本は温暖化が進むと海に沈むから早く行ったほうがいい」と、他の人に言っていた。横で聞いている私は苦笑いである。


 


「築地市場は、温暖化の影響で、場所を移転しなくてはいけないらしい」と、その女性が言っていたので「同じ場所にあるよ」と、話すと、少し驚いていた。


 


 


温暖化の問題がセンセーショナルに報道されることで、行動しないで悲観的になる人が増えている気がする。同じ生活を続けているのに、温暖化の断片的な報道に感情的に反応するのだ。


 


「みんな将来に悲観的だなあ」と、一緒に行動していたベトナムアメリカンの人が言うので、「私たちは、どんなになっても、なんとか生きるすべをみつけるよ。」と、私が言うと、「そうだね、ほら、ボートハウスとかもあるしね」と、笑っていた。


 


地球が滅亡するなんて、たぶんない。今より生活状況は劇的に変わるだろうが、それでも、私たちは何とか生きようとすると、私は思っている。


 


でも、その最悪の状況に、何もしないでなってしまうのは愚かだ。


 


何でもかんでも流してしまうメコン川の黄土色の水を見ていると、私が勉強していることは、かなり難しいことだなと感じる。


 


でも、ベトナムにこれてとても良かったなと思う。


 


私たちの生活も同様だが、私たちにはまだまだできることが山ほどあるし、改善できることは山のようにある。


 


また、ベトナムにいて、自分の状況をもう一度感謝した。


 


良い教育、特に何も困らない生活レベル、自由と平和がまだきちんとある私の境遇は、本当に幸せだと。


 


日本で働き出したら、このことをまた忘れがちになってしまうかもしれない。でも、自分の状況にいつもやはり感謝していかないといけないと再確認する旅だった。


 


それにしても、また、固有の文化が色濃く残るベトナムの生活を見ていて、うらやましいと思っていた私。


 


でも、ベトナムアメリカ人の人に言わせると「日本は、まだ固有の文化がきちんと残っている。七五三などの文化はとても素晴らしいと思う。京都の文化などを見ていると日本はまだまだ文化が残っている」と、言われた。


 


「日本はとても美しい国だ」と、日本を旅行したことがある海外の人たちに度々言われる。


 


そういう人たちは、東京、東北、大阪、奈良、京都、広島、九州を周遊している人が多い。


 


日本人でもなかなかできない日本周遊をしているのである。


 


「美しい国だ」と、ずっと思えるような国になるよう維持していかなくてはいけないなあと、これも再確認することだった。


 


もうすぐ私の留学は終わる。すぐに現実に引き戻されてしまうかもしれないけど、私の留学は、本当に素晴らしい経験だった。


 


思い残すことは何もない。あたらし仕事についても、この経験に励まされることが沢山あるだろうと思う。


 


もう、すでにオーストラリアが恋しい私。色んなことがふと、恋しくなることがこれから沢山あるだろうなと思う。


 


でも、一方で、ようやく家族と暮せることをやはり心待ちにしている。


 


私のブログはこれで本当に最後だ。

日本帰国

 


友人へ


日本に帰国しました!!


しばらく、自分のことで忙しいので、落ち着いたら連絡します。


多分3月には落ち着きます。


私は元気です。日本は、やはり自然が豊かです。


会うのを楽しみにしています。


 


 

洋服はRe−Use

あと、もう少しで帰国。

1年半溜め込んだ荷物をうまく処分していくことが結構大変である。

捨てないようにする。というのが、私の目下の目標で、今のところ殆どのもの(使いかけのシャンプーなどはどうしてもあげられないけれど)は、うまい具合にはけている。


洋服、台所用品などこまごましたものから、食べ物、勉強道具など様々なものが持って帰れないものになってくる。

と、言っても、日本に帰っても使えるものは、なるべく捨てずに全部日本に送ってしまった。

日本は何でも高いので、また買えばいいやなんて思えないのである。

持続可能な社会がどうのこうのといっている自分が、捨ててばかりいては、だめなのだ。

結構海外に行く私が、長い間で学んだ経験は、持って行く洋服や下着は、もう使わない、または今後、リサイクルショップやチャリティーに寄付するだろうと思ういわゆる古い洋服を持っていくということだ。

今回も、そういう服を中心に持っていったので、持って帰る服と、処分する服にすぐ分けられる。

海外の殆どの国では、教会などいらなくなった衣類を引き取ってくれる組織が結構ある。日本でも
そういう組織を使って衣類や不要なものは処分していたけれど、

自分の着ないものを何でもかんでもそういう場所任せにしてはいけないな・・と、やはり反省してしまった。

そのため、今回は、親しい友人家族の子どもに私のお古の衣料をあげることにした。

こちらの子どもは大きいため、六歳の女の子が私の洋服を着れてしまうのだ。

また、私の洋服、どうみても、日本人らしくないまさしく欧米系の洋服ばかりなので、友人に喜ばれた。

お下がりを着るということは、最近なくなってきていると聞くけれども、やっぱりちゃんと着てくれる人が着るというのがわかるだけでも、本当にいいことだと思う。

殆どの私の洋服は、最低3−4年は着ている。中には、10年着ているラルフローレンのラガーシャツなどもあり、ブランド物はやはりきちんと作られているので長く着れる事を実感する。

私の洋服は比較的コンディションが良いため、お下がりであげでも遜色ないものばかりだった。

きちんとした状態で洋服を維持することも大事だなと実感した。

手間はかかるけど、きちんと使ってもらえそうな人に自分の今まで使ってきて物をあげるということは、留学のしめくくりとして、とても大事な作業だった。

しかし、やはり、極力買わないことが本当に大事だなあと思った。今回の留学、他の人に比べると色々買わなかった。

台所用品やお皿とかそういうものがきちんとそろっている場所に滞在するというのは、とても大事なことだ。

良い場所に住む。生活に必要なものがそろっている家に住むことは、留学費用を随分コストダウンさせてくれる。

それにしても、生活していると、本当にいろいろなものが溜まってくる。

日本に帰っても、この経験をもとに、賢く買い物はしたいなと思う。

理想の家族

あと、数日で、オーストラリアとお別れだ。

連日、友人と別れを惜しんでいる。

今日は、私のとても大切なアフリカ人の家族の家に遊びに行った。

最後に寿司の作り方を教えた。

こちらに来てから、本当にお世話になった。

結婚して、単身でこちらに来た私にとって、この家族はとても大切な存在だった。

こういう家族になりたいなあ、というお手本のような家族。

この子どもたちを見ていると自分たちの子ども時代に良く似ている。のびのびしていて、元気で、子どもなのだ。

教育や躾は大事だなあと、しみじみ感じてしまう家族である。

頂いたプレゼントが、とても胸をうった。

トンボのモチーフのネックレスをもらった。オーストラリアが原産国の石が使われていて、しかも、私にとって色々な意味を持つトンボだ。

これをつけたとき、私たちとオーストラリアを思い出してねと、言われた。

留学に別れはつきものだが、いつもいつも、やはり、とても悲しい。

インターネットという科学技術を駆使して、連絡を取り続けたいと思っている。

人生は矛盾:持続可能な社会の行方

私の勉強している環境関連の問題は、一言で言うと矛盾で成立している。

いわゆる途上国といわれる国の友人たちの見解は、度々、私をはっとさせる。

中国やインドなどの発展は目覚しい。それと同時に問題も沢山ある。

京都議定書に関連して、足並みをそろえようという動きが未だに停滞しているが、

アフリカ人や中国人の友人から言わせて見ると、「あなたたちのために私たちは生産している」という。

だから、彼らの国の批判をどれだけできるかということだった。

本当にそうだなあ・・・と、正直思う。

もし、私たちのようないわゆる豊かな国が大幅に太陽、風、地熱その他の代替エネルギーに変更できたのなら、途上国における石油、石炭の採掘の開発を抑えられる。

世界中で起こる熱帯雨林や原生林の消失は、私たちの国がもうすこし開発のやり方を工夫すれば、今より抑えられるはずだ。

途上国といっても豊かな人は山ほどいるし、実際、生活レベルは、日本人の私よりいい生活を送っている。

ただ、国単位の開発技術レベルを比べると、大きく違う。

たぶん、答えは出ない。


ただ、自分にできることは、この意見を真摯に受け止め、自分でできる範囲の努力をしていくということ。それしかない。

やせ我慢する。やりたい放題自分では使いまくって、「あんたはだめだ」とは言えない。

個人の努力だけではどうにもならない問題で、社会構造が変わらない限り、たぶん完全な解決はない。

このことは、インスタントに実現はできない。だからといって All Or Nothingにはしたくない。

自分の生活を見直し続けることはとても大事だと思う。そして、自分の生活が、どのように社会と繋がっているか、はたまた世界経済や社会・環境問題に繋がっていくか、難しいけれども、考え、問い続けなくてはいけないと思う。

私も、本当にまだまだだが、友人に言われたことを胸に刻んでいかなくてはと思う。

メディア:その驚異的な威力

オーストラリアではアメリカ、イギリスの人気番組が観れる。と、いうか、この二つの国の番組のほうがオーストラリアの自国の番組よりも多いか同じくらいの比率ではないかと思ってしまうくらい、頻繁にやっている。

言語が同じということが大きい。

毎日、オペラというアメリカ人女性がホストを勤める昼の番組が観れる。

このオペラという人、日本で言うみのもんたのような存在。

彼女がいいといえば、映画、製品、食べ物などありとあらゆるものが飛ぶように売れるのだ。

もっとも影響力のあるアメリカのセレブだ。

今回のアメリカの総選挙でも彼女の威力はすざまじい。

彼女がサポートしている民主党のオバマ(?)氏がアイオワ州を早々と制したのだ。

偶然、オバマ氏が出演したオペラの番組を観た私。

総選挙出馬をその番組でカミングアウトしていた。

テレビの影響はすごい。本当に、世の中変えてしまうのだって、今度のアメリカの選挙を見ていて思う。

オバマ氏はテレビの中で、「アメリカ人は自分のことばかり考えすぎている。これからは、いかに自分が他者にとってUsefulな存在になれるかということを教育で教えていかなくてはいけない」と、言っていた。

いい方向にUsefulな人間を育成しないとまずいと思うが、(誤解を生みやすい表現だなあと感じた)アフリカンアメリカンで、家族もとても多文化なこの若い政治家が、次のアメリカのリーダーではないかといわれている。


初めての女性大統領、または始めて黒人大統領、どっちの民主党に転んでも初めてがつく選挙。

他の国ながら、やはり、無視は絶対にできない。

それにしても、テレビをとんと観ていない私。30分テレビを観ると逆に疲れてしまうのだ。

日本でBBCが観たいなあという願望があるので、もしかしたら、テレビが我が家で復活するかもしれないが、たぶん、長時間はやはり観れなさそう。

数年テレビのない生活をしてきて、たまに情報をシャットダウンしたほうが、健康的に生きられるような気がしている。

必要以上に世の中の事柄をそこまで吸収しなくても、いいのではないかとさえ感じる。

Endless Talk

私のシェアメイトは、私の友人であり、先生であり、お手本にしたい環境活動家だ。

年齢は、私の親のようだが、この人のおかげで、私は以前より沢山のことを学び、色々な場所人と知り合うことができた。

いつも硬いお題が多いが、色んなことを教えてもらっている。

私たちは色々なことを話す。教育、環境、政治、社会、経済、日本、オーストラリアのこと。

彼女のおかげで、留学生ながら、ここの国のことをたくさん知ることができた。

2008年は、私にとっても、彼女にとっても新たなスタート。

63歳の彼女は、新しい仕事に就く。63歳になっても、変化を恐れないということは、(もちろん、きちんと色々な問題を考慮した上で)正直、日本では珍しいことで、オーストラリアであっても、当たり前ではない。

こういう、女性としてお手本にしたい人には、人生でそうそう出会えるものではない。

本人の能力という部分がとても大きいけど、彼女の存在は、私の中でとても励みになる存在であり、とうてい叶わないが、こうありたいと、感じる私の人生の大先輩である。


諸刃の剣:いいとこどりは無理

最近、ずっと雨である。良いことなのだが、海にいけないでいる。残りわずかのオーストラリア生活、最後に、やはり私の大好きな海を見て帰りたい。

私の住む街は、オーストラリアでも干ばつがとても深刻な地域だ。

そのため、水道水はリサイクル水が少し入っている。この半年くらいの間に導入されたのだ。

この水になってから、肌の調子がおかしい。右の顔だけ沢山の吹き出物ができるのだ。

家族がこちらに来たとき、この水のまずさに驚いていた。私もケミカル臭いなあと思っていたけど

日本からきた家族のほうが敏感にその差を感じられるのだ。

そのため、この2週間、水を買っている。

水を買うことで、本来公共のものである水が売買の対象になっていくということで、できればあまり水を買いたくないのだが、浄水器もないし、仕方がない。

買った水を飲んでいると、肌が改善してきた。やはり、水が原因ということは否定できない。

水道水は飲めますというキャンペーンを政府はしているけど、私の体は確実にこのケミカルいっぱいの水は受け付けないのだ。

また、シャワーを浴びていると、本当に驚くほど髪の毛が抜ける。日本の美容師さんからも、水質がとても悪いから、髪の毛の色素がかなり抜けているとも指摘された。

ちょっと抜ける程度ではなく、ごそっと抜ける。


冗談抜きで、薄毛の人はオーストラリアは危険かもと思う。


と、いっても一年を通して温暖な私の街は、とても快適なところだ。

気候が温暖ということで、毎年、他の州や他の国からの移民がとても多い。

しかし、私はこの水問題。オーストラリアの致命的な負の部分だと思う。

数十年後、どうなるだろうと、考えてしまう。友人には、考えすぎだといわれるけど、そうだといいな。

水は、私の中でとても重要。

環境問題に疎い友人は、「海水を真水にかえる技術を使って水を作れば問題ない」と、いうので、この技術の問題点と利点を説明した。

実際、私の街の近くでは既にこの技術は導入されている。しかし、環境団体から、反対の声が耐えない。

海水を水にした時にでる塩を海に捨ててしまうので、海水の塩分濃度が急激に上がってしまうのだ。そのため、このマシンがある付近の海底には多くの生物がすめなくなるという。

海水を真水に変える代償として、生き物が生きられない海が出来上がってしまう。

この技術は、ある部分で素晴らしく、ある部分で恐ろしい。

「科学技術に100パーセント頼るのではなくて、雨水タンクをみんなが持つとか、節水を促進するとか、節水技術の促進がとても大事だと思う」と、付け加えた。

どんなことも、良い部分と悪い部分がある。悪い部分を無視して、何かを行ってしまうことはとても危険だ。

その判断は難しいけど、答えが出ない問題に立ち向かうことは、とても大切で、私たちがやらなくてはいけないことだと感じる。


会いたい友人

日本に帰国する途中、ベトナムにいる友人に会いたいと思っている。

政府に勤務する友人は半年前に既に大学院を卒業し、今は既に仕事を再開している。

色々な友人の話を聞いていると、「私、こんなすごい人と友達なんだあ・・」と、いまさら驚いてしまう。

若くして、ある程度の大きな仕事をしている人には共通点があるような気がする。

ある部分がとても鈍感というか、気にしないというか、どしんと腰がすわっているのである。

この友人は、本当に度胸がある。小さなことで、くよくよしないし、細かいことを気にしないのだ。

この部分は、学びたいなあといつも感じる。

私も他の日本人の友人に比べたら、鈍感で図太い人間だと思う。でも、この友人には到底およばない。

日本人の特徴というか、私たちの文化や習慣の一部として、気遣いというものがある。

とてもいい点だなと、感じると同時に、それで、かなりしんどくなっている人を沢山知っている。気を遣いすぎて、気にしすぎて、消耗しているのだ。

私のベトナムの友人を見ていると、人間、少しくらい鈍感なほうがいいのかも・・・と、さえ感じてしまう。

私のベトナムの友人は度胸があり、ちょっとのことではびくともしないようだが、ある時、「どうしたら、そんなにいつも冷静でいれるのか」と、聞くと、「内心はどきどきしているけど、それは見せないようにしているのだ」と、言っていた。実際、多くのことはそれほど気にしていないようだが、ポーカーフェイスというのは、私が学びたい、また努力すればできそうな技術だなあと感じる。

私の友人の何人かは、その国の政府の高官だ。みんな女性で私と同じ歳。

みんな、素敵で、賢く、強く、優しい。

私の年齢で、女性で彼らのポジションということは、かなり有能な人たちなのだ。

10年後、20年後も明らかに同じところで働いているだろう友人たち。

私も、彼女たちのようには行かないが、私ができる場所で、できることで、同じ目標を持って働けたらと思っている。

大学院で出会った友人の多くは、私のお手本であり、とても大切な人たちだ。

終わりといったはずが!!!

終わりといったはずなのに、もう少しだけブログを進めることにしました。あしからず。

なぜなら、私の留学はまだ終わっていないので・・・・。



私の大事な友人たちの中に中国の友人がいる。

私たちは同じ歳で、専攻も違うけど、とても大切な友人。

友人の専攻はジャーナリズム。中国の大手のTV局に勤めたいたキャリアウーマン。

国際的な取材をしたいということから大学院に留学した彼女。

最初は、オーストラリアを退屈な国だと言っていたが、現在、もう1セメスター残ることにした。今ではオーストラリアが好きだそうだ。

「だから最初から言っているでしょ」、というのが私の口癖。

「みんな中国のことを悪く言うけど、私の国はそれほど悪い国ではない」というのが彼女の口癖。

もうすぐお別れなので、彼女とちょくちょく会っているのだが、やはり色々な話ができて面白い。

なぜか地球温暖化の話になった。彼女が「不都合な真実」を観たら、日本はいつか沈没するといっていたよ。と、言われた。

日本が海に沈むころは、人類は殆ど生きられない大変な状況だろうねと、話していた。

彼女が、「でも、ある科学者は、温暖化は、地球の変化の一環で、私たちにはどうにもできない
ことだといっていたけど、どう思うか」と、聞かれた。

驚くことに、結構多くの科学者や学者はこの定説を主張している。

私は、この無責任な説が大嫌いだ。

「私ににはどうにもできないから、このまま生きればいいんだよ」と、言う主張。私は無責任で傲慢だと感じる。

「ほら、映画にもあったでしょう。たぶん温暖化は地球の変化の一部かもしれないけど、ゴア氏が言っているように、人間の経済活動がこの変化を急激に後押ししているようだと、データは推測しているんだよ。だから、私たちは、今、自分たちができることをしなくてはいけない。」

と、強く主張した。

「私たちの科学は完璧ではないし、分からないことが沢山ある。でも、いま分かる範囲で、できる範囲で、一人ひとりが努力することが大事なんだ。最善を尽くすことが私たちがやることだよ」

と、話した。私は、本気で、これを信じている。

中国の友人が、「でも、ある科学者は、私たちの生活にはなんら影響ないって言っていた」と、いうので、

「それは、違うんじゃないの?ほら、あなたの国を例に挙げたら、中国は環境問題で沢山の人が死んでいるときいたよ。3万人の障害を持った子どもが毎年生まれていて、生まれた後、障害が出る子どもが12万人あなたの国で毎年出ているんだよ。日本の水俣病と同じで、水質汚染で死んでいるんだよ」と、言うと、この話をしらなかったようで驚いていた。

「環境問題は私たちの命を奪うものだから、私たちの生活に密接に係わる問題でしょう」と、説明した。

特に、中国、アフリカ、その他アジアの友人には、私は、ものすごく熱くこの環境議論をしてまう。

殆どのアジアの国は今、まさに発展している。それに伴う開発で、どこの国も環境汚染が深刻。また、温暖化の兆候も顕著だ。

私の中で、この友人たちに少しでも理解してもらることが、私が今できる行動だと思うのだ。

かつての私の国も通り過ぎた開発と環境汚染。開発の過程で、どの国も通ってきた道。

だから、環境を一番の優先順位になど、国策としてできないというのは、なんとなく分かる。

でも、教育や知識が社会の考え方を変えることができるのなら、私が友人に話すことは無駄ではないように感じる。

先進国の人たちだけで、議論するだけでは足りない。国がどのような過程で状況であっても、この問題は、みなが最低でも知り、学びあい、取り組む努力が必要だとも思う。

ただ、大学院で沢山の国の人に出会い、その難しさを肌身で感じる。

それぞれが違う価値を持っている。環境への取り組みを全員がするなど、本当にできるだろうか・・・と、愕然とするときもある。

しかし、環境を専攻していない友人たちの数人が「不都合な真実」を観たというのは、少し驚きだった。

いつか、行動が変わっていっていけばいいなと思っている。

多くの友人たちは、リサイクルのやり方さえしらない。と、言うか、たぶんそういうコンセプトがない。

これが、世界の環境問題への認識だと私は理解している。

リサイクルは、その国が貧しくても、豊かでもみんなができることだ。貧しさは言い訳にできない。

出会ったときは「そんなくだらないこと」という態度だった友人たち。

私のつぶやきは、少しは役に立てただろうか・・・。


自分の周りの人を変えられなければ、その先には行けない。

口では色々言えるけど、実現は簡単じゃないなあ・・・。

本気で、そう思う。

「何も気にしないではいけない。色々な問題をきちんと考えながら、前向きに取り組むことしか道はない」

このことは私の親や私のシェアメイトがいつも私に話してくれていた。中国の友人にも話した。


友人は、そうだねと言っていたが、知識と行動には大きな差がある。友人がいつか、本当に心から賛同して、行動できたらいいなと思っている。

私も、日々精進である。








読者の方へ

いつもブログを読んでいただきありがとうございました。


この日記は、私の留学生活の記録としてとても便利なものだった。


オーストラリアでの環境教育体験は、干ばつの時期にここに来てしまったということもあり、

地球温暖化がどのように私たちの生活に影響してくるのか、どのように実感として困るのかなどを偶然にも体感したという点でとても大きかったように思う。

そして、環境問題が、選挙の争点になり、地球温暖化対策という点で、政権交代が起こったということも、この問題が、単なる添え物ではないということを確信する出来事だった。


温暖化が進んだら、食べ物の値段が上がる、水が自由に使えなくなる、ある産業が衰退するということを自分の生活の中で感じられたのは逆にとてもいい経験だったと感じる。

水制限がこんなにもかかっているのに、節水をしない人、車をばんばん運転する人。

どんなに環境が悪化しても、私たちの日常の生活は、なかなか変わらないということ。


東京にいたら、このことは実感として得られなかったと思う。

環境問題の解決は、人類の生存をかけた問題だと、私ははっきりと感じる。

大学院の勉強、色々な人に会えたこと、勉強に没頭したことで、色々なことを深く考え、経験できたことはとても良かったなと思う。

しかし、恐らくどの国でも、自分次第で収穫はある。すべては人との出会い。

私の留学は、そこが、とても成功した部分だと思う。

でも、ここからが私のスタート。実践する。

日本に戻って、実践することが私のゴールであり、スタートだ。




これでおしまい

殆どの友人が帰国してしまった。もう、私の留学は終わりである。

現在旅行三昧をしている私。

もう、書くこともないので、ブログをおしまいにしようと思う。

次の目標も決まって、あとは、実践のみである。

2008年も良い年になりますように。




お決まりの日本解説

旅行をしていると、日本について度々質問される。

日本初心者の質問は、侍、漫画、ヤクザ、芸者、日本食について。

日本中級者の質問は、自殺について、通勤ラッシュ、ニート、長時間労働、過労死、捕鯨についてだ。

特にニートと、捕鯨、過労死については驚くほど海外の人たちは知っている。メディアを通して知るのだと思う。

滞在していていたホテルで会ったヨーロッパの学生たちは、ドキュメンタリーなどで、中級レベルの日本について既に知っているようで、「なぜそのようなことが起こるのか」と、質問された。

中級者の質問に対する完璧な答えはない。でも、私なりの見解を交えてきちんと説明した。

わかりませんでは、絶対に済まされない質問。日本人で海外に行くなら必ず自分の見解、知識を持つべきだと個人的には感じる。この質問、本当に良く聞かれる。

メルボルンの帰りの空港で、隣り合わせた若いオージーに

「侍とヤクザはまだ存在しているのか??」と、真剣に質問された。

この質問も本当によく聞かれる。

武士道や、歴史の話などを自分なりに勉強したので、この質問も、私なりに説明できるようになった。

「ヤクザは存在しているけど、侍は外見上では、もう存在していない」

と、説明し、「でも、今、サムライという場合、人を指すのではなく、マインド、魂を意味している」と説明した。

「弱い人を助け、不正をただし、世の中に貢献する。強く、優しく、たくましく生きる姿をサムライという。西洋の騎士道と少し似ている」と、説明した。

すると、「Honorable(高貴な・名誉な)ということだね。うん。俺はすきだな、その考え方は」

と、うなずいていた。ふと見ると、肩に日本の刺青ににた模様があったので、どこかでサムライやヤクザについて読んだのだなと思った。

その後、江戸時代にあった、身分制度の話をすると、興味深げだった。


日本に旅行したというアメリカ人の学生が、「日本はとても美しい国。でも、日本人は恥ずかしがり屋で、私の写真を沢山とっていたけど、英語で説明してくれなくて、旅行するのがとても大変だった。」と、言われた。

白人で日本に旅したというかなりの人から、「日本人の若い人に沢山写真を撮られてびっくりした」と、言われ、なんとなく恥ずかしい気持になった。「たぶん、ハリウッドスターだと勘違いしたんじゃないのかな」と、冗談を言っておいたが、なんでそんなことするのか、同じ日本人だが不思議でならなかった。憧れとかがあるのかもしれない。

普通に生活していると、日本の独特な文化や個性に気がつかないけど、日本は他の国から見ると、特異で、いい意味でも悪い意味でも理解しにくい国のようだ。

分かりにくいけど、分かってもらいたい。海外に出たとき、私の国について聞かれたら、きちんと答えたい。

海外の人が持つ日本に対する不思議は、私にとって自分の国を再考するとてもいい機会だと思っている。










田舎万歳

先日、メルボルンに一人旅をしてきた。

友人と行くはずだったのだが、その友人、卒業できなかったのだ・・・。

友人の親も私もチケットを取っていたのだが、友人が卒業できないため、だれもメルボルンに行かなくなってしまったのだ。

片道、マイレージがたまったため、どうしても小旅行したかった私。

結局一人旅になってしまった。


メルボルンでは、美味しいイタリアンを食べ、公園や環境教育関係者に会い、お店をのぞき、とても楽しんだ。

メルボルンは私が住んでいる街とはとても違う。

みんな、ヨーロッパのようだというが、私にはアメリカのようにしか見えなかった。

人も多いし、東京ほどではないが、やはり忙しい。(走っている人はいなかったけど・・・)

違う州同士、ライバル心があるらしく、メルボルンの人はクィーンズランドに住む人を田舎者だと笑う。

確かに、メルボルンの人々の服装はきちんとしていたし、やはりモダン。

メルボルンは、とても素敵な都市だが、色んな先進諸国の街を見てきた私には、今住んでいるクィーンズランドの穏やかな、のんびりしてなにもない雰囲気。自然しかない村のような雰囲気がとても好きだ。

メルボルンにいると、クィーンズランドの自然の豊かさに驚かされる。

雑木林があり、海が美しく、人がだらっとのんびりしている。

私の住む日本とは対極にある自分の第二のホームタウンをやはり、私はとても好きだなあとメルボルンにいて強く感じた。

しかし、メルボルンは食が充実している。イタリアンの美味しい店が沢山ある。

今回も美味しい店を見つけた。一元さんでもお構いなしにイタリアンを堪能した。

食が豊かということはとても重要。クィーンズランドにも美味しいイタリアンがあればいいのになあと思う。




文化の違い? 柔軟性が必要

日本人は真面目で時間厳守だとか、硬いとか。そういう国によってステレオタイプの見方がある。

私は、それをあまり信じていなかったけど、1年半、海外で色々な国の人と係わっていく過程で、そういうのは否定しきれないなあと思う。

先進国と呼ばれる国。やはり、社会基盤がしっかりしている。時間をある程度守って社会が動いているように思う。

他の国の友人から見ると、私は、日本人そのものなのだと思う。

真面目で、時間厳守。心配性で、頑張り屋。思いっきりステレオタイプである。

あとは、日本人は全般に、時間通りに物事を運ぶ意識が、やはり高いように思う。

日本がこれほど急激に成長した影には、やはりステレオタイプだが、

時間に厳しく、真面目だったという部分が大きいのだろうなと思う。

今日もアフリカ人の友人がパーティーを開いたが、やはり、昨日と同じように計画がめちゃくちゃだった。

5時半に集まるという話が、蓋を開けてみると8時に始まったのだ。

感じである本人が教会に行きたいからと、突然時間を変更したのだ。

そのため、ブータン人の友人と私は、またしても2時間待ちぼうけであった。

最初から、7時半集合にしていたら、私たちは待たずにすんだ。

アフリカ人の友人からしてみると、私は、石の様だという。

彼の計画がきちんとしていないと、文句を言ったからだ。

アフリカでは、風で動く砂漠の砂のように生きることが良しとされているそうだ。つまり、柔軟に動きなさいということだ。

友人からみると、私は風に吹かれても動かない石だという。

私は、結構柔軟なほうだと思う。その状況を受け入れて動くようにしている。でも、物事がうまく運んだほうが楽しいに決まっている。だから、計画はきちんとしていたほうがいい。

しかし、人生はプランが大事だと思っている。たとえ、思うように行かなくてもしっかりした計画があれば、行き当たりばったりよりずっと、うまくいく。

アフリカの場合、行き当たりばったりでいいらしいのだ。そのように社会が機能しているのか・・・と、疑問に感じた。


時間どうりに動くことがアフリカ人の友人にはとても難しいことらしかった。そういう概念があまりないらしい。

日本人の私には考えられないことだが、国民性なのかもしれない。

一人旅なら着の身着のまま動くが、大勢だったら、きちんとした計画が必要だ。

ビジネスならなおさら、プライベートであっても、ある程度の節度は必要だ。

しかし、この考えはユニバーサルではないようだ。

せかせかしたくないが、ある程度効率の良いレベルで時間を使いたいと思う。

以前、違うアフリカの友人が、日本から派遣されているJICAの人は、現地のアフリカ人があまりにのんびりしているので、プロジェクトが進まないとぼやいていたと言っていた。その時はぴんとこなかったが、今はなんとなく、どのような状況かわかる。


せかせかしたくはないが、怠惰すぎるのもいかがかと思う。

私の望みは矛盾しているのだろうか。

「つまらない、退屈だ」とぼやいて家にいるということができない私。

愚痴るくらいなら行動する。退屈なら、面白いことを見つける。

なので、日々、何かしらで忙しい。

根っからの典型的な日本人のようだなあと、最近、思う。

人に迷惑をできるだけかけずに生きて生きたい場合、この日本人流でいいのかもと最近思う。

2時間も待ちぼうけなんて、パーティーであってもごめんである。

アメリカにいたときはパーティーは1時間遅れて始まっていたが、アフリカやインドは、2時間3時間後に始まることはざららしい。

ここまで来ると、時間を決めるという意味がないようにも感じる。

ステレオタイプ・・・あながち嘘ではない気もしてきた。

世界の時間感覚

先日。大学院の卒業式があった。

そのあと、友人たちとご飯を食べたのだが、各国の時間感覚について考えてしまった。

日本人はおそらく、ものすごく時間に正確に生きている。

それをものすごく実感した日だった。

アフリカ人の友人が張り切ってオーガナイズした食事会の計画は、お世辞にもオーガナイズされているとはいえないものだった。

めちゃめちゃだった。楽しさも半減するようなだめな計画だったのだ。

そのため、日本人の友人の親が時間があまりにルーズなので食事会が始まる前に帰ってしまった。

「30分くらい待てるだろう。なんで帰るんだろう?」とアフリカ人の友人が言うので、

「ここから店までさらに20分以上かかるし、一時間くらい待たせることになるからだよ。日本じゃ30分こなかったらみんな帰っちゃうよ」と、話した。

途上国になればなるほど時間の流れはゆっくり。

いいときもあるが、きちんと計画的に物事を進めなければいけないとき、こののんびりが仇になることもしばしばある。

学生のころは本当にのんびりだらだらしていた私だが、仕事をはじめて、当たり前だが、仕事に関してはものすごく時間厳守になった。

シェアメイトにも、何か物事を成功させたい場合、オーガナイズするということが一番大事だと聞き、本当にそうだなあと思った。


海外の時間感覚は日本のそれとはまったく違う。30分、一時間の遅れは当たり前なのだ。それがインフォーマルになればなるほど、本当にゆったりしてくる。

インド人の子が、みんなで食事などをしたら、6時集合で、9時に全員が集まればいいほうだと言っていた。アフリカも同じだそうだ。

最初から9時集合にすればいいのに・・・。

私は、時間に関しては、日本人的でいたいと思う。反面教師でそう思うのだ。ものすごく時間に厳しいわけではない私だが、海外にいると、それぞれの人の時間感覚の差で、結構苦労したりする。

社会人経験なしで、ここに来ていたら、私、本当に日本社会に戻れないなと感じた。

アフリカにビジネスで行ったら大変だろうな・・・と、なんとなく感じる食事会だった。




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